as it is

そのままで

サクセスへのアクセス

成功が幸せと言われる理由について考えていた。成功とは、地位や名声を得ることを指す。社会に出たとき一般的に幸せと言われるような上司達が、地位も名声を得てもなお勤務中に「嫌だよなあ、俺だってやめたいよ」と呟いていたのが忘れられない。なぜなのか。地位があり、部下を従え現状名声を得ているのだ。賞与もきっとそれなりによく、家族も持ち、立派な家や車を持ちながら、それでも血眼でタバコをふかしたりするのだ。

中学時代に住んでいた地域は比較的円満な家庭が多い平凡な空気が流れる田舎で、高校受験を控えるクラスメイトは次々に月謝の高い塾に通い出していた。こんなことを言うのは違うのかもしれないが、高校・大学へのステップは家庭環境が背景にあると思う。正直、自分より成績の芳しくない友達が塾に通い出したことでぐんぐんと成績を伸ばし、そのまま滑り止めの私立を2、3校受け、のちに学歴社会で羽を伸ばしているのは言うまでもない。これは妬みで、自分自身の努力が足りなかったことであるし、いつまで引きずっているんだと呆れる。でも、そういう人たちは安定した生活を求め大企業に入ったと話したりする。私の上司も例外ではない。恵まれた環境で育ち、安定を求め、成功しているのだ。果たしてそれは本当に「幸せ」なのか?もちろんこの条件がすべての人に当てはまるわけではないのだ(その他のクラスメイトは大学進学後自分のやりたいことに手を伸ばし充実した生活を送っているであろう子もいる)が、あまりにも無残な将来とは言えないだろうか?この断片的な視点かつ限られた知人の中での経験談など語る資格はないかもしれないが、「成功」を求めた続けた結果、飲み会やタバコに消えていくような、そんな人生はそもそも違うのではないか?ということだ。無論、他人の人生なので正直どうでもいいのかもしれない。でも、そうやって「成功」の枠に捉われた人生を幸せと呼ぶのは違う気がしている。

好きなことを仕事にしよう!という社会現象で波が立っている。ここ2、3年で立派に確立したユーチューバーという職業はまさに「好きを仕事に」という代名詞だと思う。私自身も一つのエンターテイメントコンテンツとして視聴が日常の一環になっている。が、正直な感想、対人ストレスのない作業と広告収入に食いついた人達が多すぎる。もうメディアとして確立されすぎていて数年前まで一般人だったのにいきなりファンがつき、何をしても許されるような場所にもなりつつある。だから、視聴者数の多いユーチューバー同士がコラボし会話しているだけで動画として一つ成り立ってしまい、それが収入となるのだ。根本にあるのは、人を笑顔にしたい、とか動画を自主制作したい、とか様々だと思うが、会話をしているだけでこれが好きなんです!と主張されても受け入れ難くなってしまう。その動画が10分にも及べば、何万人もの10分間を奪っていることになる。果たしてそれを視聴した人が元気付けられた!となると確証を持ってあげているのだろうか?あまりに残念な内容だったとき無意識に『これがこの人たちの仕事なのか…』と羨んだ気持ちが見え隠れする。仕組みさえわかってしまえばいくらでも手を抜ける仕事な気がしてならないのだ。それはもう好きなことを仕事にしているとは到底言えない。でも登録者数が多ければ多いほど成功したと言われ収入も会社員よりはるかに多く受け取っている。確かに彼らは幸せだと思う。私の上司や学歴にこだわったクラスメイトよりは。

長々と小難しくよくわからないことを書いてきたが、成功が幸せと呼ばれる理由は社会的地位やお金を儲け名声を得ることが本質ではないのではないか?ということだ。好きなことを仕事にするというのは難しい。いくら気楽に続けられるものだとしても、人である限り、慣れが生じ飽きが来る。それに耐えうるようなまっすぐで純粋な「好き」に対する強い精神が必要だ。その環境において成功することが本当の成功だと思う。自分が不満や愚痴をできる限り言わなくて済むような環境に身を置きながら生活し、一日の4分の1を占める仕事の時間を充実したものにする。好きでやっているから、と言い切れるような、そういう仕事を手にすることが一番の成功なのではないか。

そんなことはわかっている。と書きながら思う。でも、これが案外難しいものではないだろうか。そもそも時間をかけてやりたいことは何か?それがお金に換算できるのか?好きなことが仕事として成り立つのか?悩みも不安も尽きない。でも、それに負けてはいけないのだと思う。そこに向き合い続ける必要がある。やりたいことを探し続け、仕事にする方法を模索し続ける。世間一般という言葉から一度離れる。自分の成功と幸せを何度も問い続け、それを形にする必要がある。そこを乗り越えない限り、なんらかの型にはまり続け、永遠にその中であがき続けなければならないのではないか。そんな時間は本当にもったいないな、と思う。

とは言え現実的に見ればやりたいことがあっても資金が足りなかったり、仕事や住む場所や頼る場所や日々の生活が困難だったり、様々な障害が目の前に立ちはだかる。意志だけではどうにもならないのが現実だ。でもこの悩みや不安から逃げず、向き合い続けることはできると思うのだ。この時間は苦しく、苦しんでいる間は誰も助けてくれない。だが、負けてはいけないのだ。成功したいのなら、本当に幸せな日々を送りたいのなら自分自身に負けず戦い続けなければならないのだ。好きなことを仕事にしている人たちは、好きでやっていたらこうなった、という人もいるかもしれない。それはやり続けることができる=本当に好きだというブレない精神があるからなのだ。世間の波に飲まれないくらいの好きという気持ちは最後に自分を救うことになる。

成功というのは一概にもこれだ、という風には言い切れない。高学歴で会社員になり効率よく稼ぐことも、株などの投資で一切体力を使わずに勝負することも、ネットの社会で生き抜くことも、政治家になることも、宇宙飛行士になることも、はたまた主婦・主夫になることも、親になることや独身でい続けることも、パートやアルバイトで生活することも、どれも成功ではあるのだ。それでも全てに共通していてほしいのは、好きが根底にあるということだ。自分がなりたくてなった、自分が望んでいた、自分の夢だった、誰にも負けないくらいの自信がある、でもなんでもいい。自分の意思で選択し、確立させている。本当に細かいことかもしれないが、ここまでたどり着くには日々の生活の時間割や衣服、食事、持ち物、そういうものまで関わってくるのではないかと思う。好きを根底に全てを選択していくこと。それが成功に繋がる。そう願っている。

 

 

28082019

 

ざんわ