as it is

そのままで

イコールの先

恋人欲しい?という質問をされる度に、欲しくて作るものなのか?という疑問が頭の中を駆け巡っていつも曖昧な返事をしてしまう。頭の固い人間なのかそれとも漫画や小説の読みすぎなのかは知らないが、恋をするときはいつも偶然だと思っていて恋をするというよりは恋に落ちるという日本語の方がしっくりくる。

きっと自分の中では、こんな自分でもいずれ結婚し子を持ち一般的な「家族」の姿になるだろうという謎の余裕があるんだと思う。次々と結婚していく同世代を横目に必死になる姿を見せまいと自己制御していることには気付いている。謎の余裕を持っていないと嫉妬で狂ってしまいそうになるからだ。結婚はいい。愛する人と信頼関係を築き、安心や享楽を分かち合い、苦境を共にし、年月を重ねていけるのだ。でもこれは自分の生きてきた道の中で出会った赤の他人と、なのだ。すごいと思う。偶然で運命だ。そんなことがこの世界中で起きているのがにわかに信じ難い。本当なのか?皆、心から愛する人に出会い、この先死ぬまで苦楽を共にしたいと思える人と出会えたのか?偶然で運命的に恋に落ち、信頼関係を築き上げてきたのか?と思ってしまう。でも実際に日本では三組に一組離婚しているのが現状というし、離婚していなくても仲睦まじいと言えない夫婦も山程いることだろう。他人と意見や価値観を擦り合わせていくというのは本当に難しいと思う。誰一人同じ人生を歩むことの出来ないこの世の中で、見てる世界も生きてきた場所も育った感覚も全て違うのに、同じ家に住み自分のプライベートな時間を費やし、生活を共にしなければならないのだ。各々の家族ルールもさることながら金銭感覚や清潔感、感情のコントロールまでもお互いに把握しあっていく必要がある。赤の他人とだ。すごいことを皆当たり前かのようにこなしていて、受け入れられないまま結婚適齢期になる予感がしている。そして婚期を逃したとかどうとか言われてしまうのだろうか。それでも信頼し尊敬できない人と結婚するよりは一人で生きていった方がマシだと思う。恋人も同等だ。自分一人の世界ではないからこそ焦らずに慎重に生きていくべきなのではないかと思う。

恋人の話で思い出したことをもう一つ。プロポーズについて。プロポーズを男からするという風潮はいつになったら無くなるのだろうか?今の社会は親たちの年代から比べれば大分男女平等になりジェンダーレス、LGBTQといった言葉も出てき始め、性別に関しての関心度が幾分良くなったと思う。それでもプロポーズは男性からという風潮に疑問を持たれるところを見たことがない。確かに女性は体質上、妊娠し出産しなければならないが、基本的にはそれ以外男性と同じなのだ。給料も立場も同等で、結婚するとなれば男性も女性も関係なくお互いに固い決意が必要なのは変わりない。それでも街は婚約指輪となれば女性向けのキラキラした梱包のものや、男性の入りにくそうな店舗ばかりで取り扱っていたり、プロポーズのシーンとなれば男性側が膝まずき指輪を渡すシーンばかりだったりするのだ。というか何故指輪なのか?という疑問さえ湧く。(これは遥か昔、約束を果たす誓いの印としてリングを指にはめる習慣があったらしく、リングの円の形に永遠に途切れないという意味が込められていたそう。)これはあまり女性とは関係なさそうだったので良しとする。が、やはり男性からというところに社会格差を未だ感じられずにはいられない。女性は家事をするとか男性は外で仕事をしなくてはいけないなんてことはない。そもそも同じ人間で出産後、女性の体調が戻り次第すぐに復帰できるような社会体制が必要だし男性の出産後と子育てに対する意識とそれに協力しやすい社会変化も必要だ。前職場では男性も育休を取れるシステムはあったものの直属の上司が目の前で堂々と否定するなど環境が劣悪だった。妊娠と出産以外は一保護者として同等に子供の成長を見守るべきであり、どちらが長い時間接するとかどちらが得意とかはないのだ。女性から告白したら肉食女子だと言われ、恋愛に興味がなければ草食男子と言われるこの社会はもっと人間らしく雑食な世界になっていくべきだと思う。簡単には変わらない。でも変えようと発信し当たり前と言われることに対し疑問を持つことで誰かの悩みや不満がなくなる日がくればいいなと思う。同性婚も認められていない現在だが、認めない意味がわからない!と一蹴し戦闘体制になるのではなく、どうしたらお互いいい形で共存できるのか、法律の肯否によって持たらされるメリットデメリットは何なのか、満場一致というのはかなり不可能に近いが関心を持っている人の半数以上が納得できる形を取った未来が作れればいいなと思う。

固いことを話すとフェミニストだと言われてしまうが、こういう考えをより多くの人が常識として考えられるようになるまで男女平等への道のりは長い。まずは常識でなくてもいいから、こういう考えがあるということを知った上で自分の生き方を選び、自分と異なった選択や考えを持った人達を肯定できるところから始めていきたい。男性も女性も平等で誰もが自由に生きて法律に縛られるのではなく守られていると感じられるような世界がいち早く訪れますように。自分の常識はただの、自分が生きてきた世界での大多数の意見であることを忘れないように。

 

15102019

 

ざんわ