as it is

そのままで

dough of for 3 days

 

幸せとは星が降る夜と眩しい朝が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなことじゃなく大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだ

 

瞬き / backnumber の冒頭部分です。幸せとはなんなのか、みんなの疑問を言い切ってしまえるような歌詞を書いてしまうなんて…と当時は驚いたものです。

…とここから先を、書いては消し書いては消しあっという間に数日経ってしまいました。どうやら私には重すぎた題材のようです。そんな大それたことを書きたかったわけではなくて、幸せってなんだっけ?とふと思い立ち友人と話す機会があったので少し整理しようと思っていただけです。私の良くもあり悪くもある癖で、わからないことはすぐにネットで検索するというものがあるのですが「幸せ とは」で検索しました。本来であれば1つ目か2つ目あたりにウィキペディアの引用が出てくると思うのですが、このページは違いました。上から順になんだか良く分からないサイトがたくさん。知りたいのはこういうことじゃない…と思って仕方ないので辞書を引きました。せっかくなので書き留めます。

 

しあわせ【幸せ/仕合(わ)せ/倖せ】

①運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。

②めぐり合わせ。運命。

③運がよくなること。うまい具合にいくこと。

④物事のやり方。また、事の次第。

  ーデジタル大辞典より引用(一部抜粋)

 

なんか…思っていたよりシンプル。というかもっと欲とか愛とかそんなものに触れていると思っていたので拍子抜けしました。運がよいこと、運命、ってなんじゃそれ。それってただの偶然じゃん、と思ったのですがその偶然こそが幸せ、ということなのでしょうか。いきなりむずい予感がプンプン。

知人と話した内容、それは「無償の愛」についてです。家族や友人、恋人から与えられる見返りの求めない大きな優しさの塊。それを感じるとき。世の中、自分のことしか考えずお金や地位など欲にまみれた願望がある中で、見返りを求めずに誰かに何かをしてあげるということは紛れもない愛で、優しさで。それを受け取ることができる場所にいることは確かな幸せだと。例えばその形が家族だったとして、祖父母の代から親へ、親から子へ、そして孫へ、相手を尊重し且つサポートしながらも一個人として区別する。そんな環境で育ってきたとしたらそれはとても幸せです。他人の家族全員と接する機会というのは現状かなり減ってきていると思うのですが、もし万が一そんな機会があった場合、決して自分と比較してはならないです。

私は人生はゲームだと思っているたちです。人それぞれ用意されているステージは違っていて、パッケージを開けてカセットをセットし、ゲームをスタートさせるまでそこが何のステージか分からない。1−1から始められる人もいれば、いきなり最終ステージのでっかいボスの人もいる。初期装備も違っていて、たくさんのお金を持っているとか、戦闘能力に長けているとか、何もないけどお供がたくさんいるとか、様々。でもこのゲームは一度始めたらそう簡単にはやめられなくて「セーブ」とか「はじめから」なんてボタンは存在しない。とんでもないことが起こらない限りやり続けなければならない、凄まじいゲームです。でもきっと攻略の仕方がわかればきっと楽しいゲームに違いないのですが、今のところ本物の攻略本を見つけたことはありません。超人気大作なのに攻略本がないなんておかしい。石を叩いたらお金が出てくるとか、草をむしり続けてお花を植え木を育てたらスズランが生えてくるとか、そんな知識すらどこにも書いてない。なぜだ、なぜなんだ。。。

多分それはきっとこのゲームが、「運命」ゲームだからだと思うのです。人生は運命ゲーム。いろんなステージが待っていて一つずつクリアしていく。でも誰一人同じステージの人はいなくて、みんな似ているステージを模倣して少しでも楽にクリアできるように進んでいく。私は結構本気でこう思っています。だから他人と比較してはならないし、する必要もない。他人のステージや初期装備が羨ましく感じることがあってもそれは仕方ない。なんせ運命なのだから。でも我々は模倣という技を持っていて時間やスキルを活かして模倣することができる。変わることができる。少し前に某アナウンサーが「人生は引いたカードで勝負しなければならない。そのカードは変えることも捨てることもできないのだから澄まして使うしかない。」というような発言をなさっていたというのをネットで見て(ネットの情報なので間違っていたらすみません)本当にその通りだ…と思いながらいいねをしました。アナウンサーなんて憧れられる職業で華やかなイメージですが、そんな人もこうやって思うことがあるほどです。過去は変えられないけど、現在と未来は自分次第でどうにでもなる。

どうにでもなるっていうけど、どうにもならないんだよ!と私は幾度となく思ってきました。そう、変わらない過去といっても今の自分を作っているのは紛れもなく過去であるしその過去を、変わらないからといって何も思わずにいるのは無理です。それを友人に話したところ、自分を満たすことをゴールにする。というようなことを言っていました。すみません、あまりにもたくさんのことを話したので忘れてしまいました。でもこれって、めちゃくちゃいい目標だと思ったのです。他人のためなら何かしてあげられるけど自分のことはどうでもよくなっちゃう族って私の他にもいると思うのですが、自分自身と向き合ってまず始めに自分を満たす。自分を満たすものはなんなのか考察する。自分のために時間を作る。好きなものに触れ、感じ、汲み取っていく。そうやって満たされた自分を成形していく。それって意外にも難しく核心的に大切なものだなと思ったのです。

ここまで書いてきてもう一度、幸せとはなんなのか。それは運命だと言っていいのではないでしょうか。運命ゲームだと書きましたが本当に人生は偶然で、生きているということに価値がありその中で自分を満たすものを探求し追求し、自身を成形していく。それが幸せなのかと。少し前の更けた夜、眠れる音楽を聴いてみようと動画を立ち上げました。正直とても眠れる気がしなかったので100を超える寄せられたコメントを読み進めていくとそこには「地球規模で考えたら日本人として生まれたことがもう幸せ」というようなことが書かれていて妙に納得しそのまま寝たのを覚えています。終わりのないような毎日に現れる悩みや跳ね除けても返ってくるストレス、それでも偶然生まれてきて運が良かったと思えたらそれはもう幸せなのだと思います。

最後に友人が何かで目にした言葉、「幸せは義務である」。幸せは付随するものなんかではなく全員が果たさなければならないもの。幸せでないと感じたなら少しでも幸せになれる方向へ進むべきなのです。それが逃避だろうとなんだろうと。 

 

18072019

 

ざんわ