大人になるということ
スーパーに行けばお気に入りのチョコを買ってしまうし
SNSのハートマークはアプリを開く度に気にしてしまう。
一番長く付き合っていた元彼との写真は
いつまで経っても消せないまま。
歳を重ねるにつれて欲深くなっています。社会の仕組みや他人との関係の築き方、自分とは何かと考え、知れば知るほど「満たしてほしい」という感情が影からひょっこりと顔を出すのです。
不思議でした。10年ほど前に想像していた大人とは全くかけ離れた姿になってしまっていることが。自分は欲深い人間になり得ないと思っていたからです。正直なことを言うと当時少しふくよかな知り合いに会ったとき、なぜ太っているのだろうと思っていました。自分のやりたいことをして、やりたくないことはやらない。生きていくってそれだけのシンプルなものだと思っていたからです。起床、学び、運動、就寝、時々遊び。その繰り返しで太る要素なんてどこにもないと本気で思っていました。その繰り返しが自分の理性によって保てなくなる世界があることを知り得なかった。そしてどこかでそんな大人を小馬鹿にしていました。
自分で自分をコントロールさえできないなんて
自立した今、私は当時の知り合いよりも太っています。
付き合いで酒を、寂しさで飯を、褒美といって甘味を、疲労を訳にベッドから一歩も出ず、価値のない情報に浸り、本能を言い訳に曇った愛にまみれ、それを無理やり大人という枠に閉じ込めて。一体どうなってしまったんでしょう。
物欲、食欲、性欲、承認欲求、どこからくるんだろう。他の世界なんて知らなければ、自分のことだけ見ていれば、欲なんて湧いてこないんじゃないか、でもそれって外の世界を知らずに歳を重ねるということ?それは大人って呼べるの?
愛されたい、満たされたい、褒められ讃えられ、他の誰でもない誰かになりたい。
他人によって成り立つ世界。コントロールしていかなければなりません。
大事なのは他人からの目線ではなく、自分で自分を愛することだと思うがそれが一番難しかったりする。自分が良ければそれでいいのだが、果たして本当にそれでいいのか。
認められて何になるのか。その欲は寂しさじゃないか。一時のものじゃないか。
満たされない心との向き合い方と、満たされたときの心の扱い方。
思い描いていた大人に果たして自分はなれるのか。
考えすぎと言われたらそれまでです。
深くて寒い夜、もう少し足掻かせてください。
03062019
ざんわ