as it is

そのままで

向こう側

小難しいことを考える間もないほど仕事に追われていたので自我を取り戻しに来た。仕事に時間と体力を取られるの、嫌すぎる。だからきっと今の仕事は合ってない。

 

根深く蝕むSNSに毎回振り回されていて自分自身打ち勝てないことが多くなってしまった。SNSなんて言葉ではなくて「インターネット」として世で説明されていた頃(当時はまだ学生)インターネットは、『知りたい世界の知らない情報を知るための道具』だった。家族や友達や近所、雑誌でもテレビでも取り上げられないようなものを、たった一人、自分自身のために掘り出せる道具だった。電源を入れて真っ黒の画面が光るあの瞬間さえ好奇心を駆り立てられたし、知らない世界を自分の手で見つけるということに恐怖もあった。検索ワードを変えて何度も似たような単語を違う言い回しにして打ち込んだり、似たようなサイトに飛ぶことができたらそこから更に違うサイトへジャンプしてみたり、その手探りで時間をかけて探すことの方が意味があるのではないかと思うほどのめり込んでいた。そして見つけた情報は紙に書き起こすほど価値のあるものだったし、自分たった一人ではないということを知り世界が一気に広くなり異常に心躍るものだった。

インターネットはそれが本来の形なのではないかと常々思う。自分の知りたいことだけを知る。それで十分だ。知りたくもないことを知る必要など微塵もない。でも今は違う。今のインターネットはSNSなのだ。社会的な構造が出来上がっている。確かに、遠く離れた家族や友人といつ何時も連絡が取れ顔を見ながら会話したり、社会的ハンデのある方達の買い物がより簡単になったり、と良い点ももちろんたくさんある。というかそういうために発達したものだと思っていた。でもスマートフォンが普及した現代において、若者が巧みに使いこなし出来上がったのが今の社会だと思う。社会を作り上げるのはいつだって若者だ。好きなことを簡単に発信できるというのは良いことだと思う。少し前までは好きな世界と繋がることはできても発信するとなるとやはり安全面やハードルの高さが気になった。しかし、その簡易さが仇となり情報価値の低落や個人情報保護の希薄化が目に見えている。問題になっているかどうかは個人差がある。うまく使えばビジネスとして成立するし、なんとも言えないのだ。だがその本質を見極めずに現代の社会の流れとして受け入れ、取り込んでいる人が大多数な気がしてならない。ツイッターやインスタグラム、フェイスブックもそうだと思うがこのあたりのアプリを持っていない人というのはなかなか稀なのではないかと思うほど使用人口が多くなっていて、それが現在と混合してしまっている。

簡潔にいうと、今のインターネットは『知っている世界の知らなくても良い情報を知ってしまう道具』だと思う。インターネットが現代の社会と密接になりすぎていて境目がなくなってしまった。ただ自分の可視範囲が広がっただけ。浅く広く濁った海が目の前にある。現実の世界であれば居心地が悪くなったときに遠ざかったり、目を瞑ったり、関係を切ったり、逃げたり、どうにかしてその場を変えることができるが、新たな情報を求めて探しに行った先が乱暴で雑多なものだったらもうそれを使うのをやめるしかない。こんなに悲しいことが起こりうるなんて想像もしていなかった。が、保身のためにはそれが一番だと思う。

時間は有限で、体感できないもの以外は多く知る必要はないと思っている。自分が使える限りの五感で経験するだけで人生は事足りると思う。インターネットは自分が掘りたい井戸の情報だけを教えてくれるものであって、あれもこれも!と欲張って使うものではないのだ。自分で考え、行動し、できることだけをやっていく。自分だけの生活をしていく。無料で得た知識など正直意味をなさないと思うのだ。安いTシャツがすぐボロボロになってしまうよりは、自分のお気に入りのデザインで生地のいいものを貯金して買い長く着る方がよっぽど良いと思うのだ。質を求めるのならスピードを求めてはならない。自分がより良い人生を送るためには、簡単ですぐに手に入るものに飛びつくようではいけないと思う。小さな画面よりも風や光、色、音、そういうものをもっと感じられる、四季折々の木々や旬の食べ物を喜び、満たされる人でありたい。

そのためには孤独や嫉妬などの自身の中での陰湿な感情を切り替える必要がある。一人でいるときは孤独なのではなく、自身を高める絶好のチャンスであるし、嫉妬する暇があるならさっさと自分のやりたいことを行動に移せば良い。わずかな考えの違いかもしれないが、今の自分にはこの切り替えとインターネットの本質を言い聞かせる必要がある。毎日ヌルヌルと過ごしていると物事の本質や自分と対峙することを忘れてしまうが、何事も本質を捉え向き合い続けるべきだと思う。それが例え、小さな画面の向こうの話だったとしても。

 

 

02102019

 

ざんわ